Wednesday, May 16, 2012

セントラルパークの歴史

セントラル・パーク(59~110 street, 5~8Ave)はアメリカで景観を考慮して設計された最初の公園です。17世紀当時、詩人ウィリアム・ブライアントや造園家アンドリュー・ジャクソン・ダ ウニング達によって膨張したニューヨークに大きな都市公園開発の必要が唱えられていました。ニューヨーカーの多くも、ロンドンのハイドパークやパリのブ ローニュの森のような、屋外でのんびり過ごせる場所を切望しておりました。
それら要望を受け、ニューヨークの立法府は1853年、マンハッタンの中心地より北側を公園用地と定め、セントラルパークを造園する事となりました。それに伴い、当時ここに住んでいたアフリカ系、アイルランド系住民、約1600名は立ち退きの憂き目に遭いました。
NY州は公園の開発の監督のため委員会を設置し、1857年にコンペティションを実施しました。その結果、造園家オルムステッドと建築家ヴォーの「緑の芝 生計画」が選ばれました。実際の建築に際し、建設のピークには約20,000人の労働者が雇われ、従事する事になりました。
1870年代、ニューヨーク市の住民の大多数はロウワーマンハッタンに住んでおりました。そこには公園と呼ぶに値する場所はほとんどありませんでした。 1876年にほぼ現在の形に完成したセントラル・パークは、彼らにすればずっとアップタウンに位置する公園で、その緑の恩恵を一番必要としていた一般市民 には手の届かない場所だったのです。オリヴァー・ウェンデル・ホームズ(アメリカの作家、ハーバード大医学部教授)がニューヨーク市を訪問した際に、セン トラルパークを絶賛したものの、五番街の23丁目からアップタウンに行くのに、交通費が4ドル(当時)もかかったのに不満を漏らしたとされています。実の ところ多くの人にとって公園は「100マイル離れた場所にあるのと同じで、年に一度の遠足でも遠すぎる」と言われていた程です。
その後、人々はこの都会のオアシスに癒しを求め、こぞってセントラルパーク周辺に移り住むようになりました。そのため公園の周辺のエリアは家賃が高騰し、 アッパーウエストサイド、アッパーイーストサイドはそれぞれセントラルパークの西、東側に位置する住宅街ですが、おしゃれな高級住宅街へと成長しました。 特にアッパーイーストサイドは全米でも指折りの高級住宅街となっております。


ニューヨークという不夜城の中でオアシスの役割を果たしてきたセントラルパーク、住友不動産販売ニューヨークでは今回ご紹介いたしましたセントラル パーク両側に位置するアッパーウエストサイド、アッパーイーストサイドの物件を数多くご紹介いたしております。賃貸、売買で物件をお探しの場合はぜひ弊社 までお問い合わせ下さい。(住友不動産販売ニューヨーク 金澤)
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